1000時間理論
俺の友達の恩師だか別に恩師でもない人だかが言ったらしいのだが、人間1000時間やればそれのプロになれるという。1000時間と、言葉にすればあっさりと言い終わってしまう言葉であるが、実際に計算するととんでもない時間である。一日が100時間と考えれば、ざっと見積もって多分10日分である。この一日100時間で十日寝ずに何かすれば、そのプロになれる技量を持っていることになるのだ。今回はその理論に基づいて(偉そうに)話をしたいと思う。
俺は今まで十日分漫画を描いただろうか?細かいのを入れれば小学二年生の頃から漫画を描いている。広告の裏程度の狭い空白ではあるが、そして稚拙ではあるがオリジナルの漫画を描いていた(ことがある)。あの頃は、仲のいい友達4人と、よく一緒に漫画を描いては見せ合っていた。正直に言うと漫画というよりイラストだった方が多い。本格的にオリジナルの漫画を描き始めたのは中学一年で、クラブという授業で漫画を選択できた俺は、曲がりなりにも漫画を一本上げた(自分なりに)。今思えば、見事なまでに打ち切り漫画のような締め方になっていたと思う。
しかし漫画のペンを使い始めたのはそれより後で、高校一年の時なのが驚きだ。俺が一番驚いている。それまでは鉛筆でしか描いた事がなかったのだ。それなので、高校一年から漫画を描いた、と言うことで計算してみようと思う。
と思ったのだが面倒なのでやめた。
第一、1000時間以上やったことは他にないのだろうか?楽器の演奏ならば、総合時間で考えれば1000時間に達しているかも知れないが、いかんせん俺は持っている楽器の種類が多い。広く浅くというやつだ。ので、楽器ではプロにはなれるまい。なれたらいいが、漫画のせいでとりあえずパス。折り紙も自信はあるが、さすがに1000時間は達していまい。漫画、楽器、折り紙で一番古い趣味は折り紙なのだが、最近はほとんどやってないのだ。
そうなってくると、残るは歩くこととか、寝ることとか、喰うこととか、呼吸とか、生きることとか、である。流石にこれは1000時間を越えていると思われる。ただ糞尿を垂れ流すことについては1000時間は怪しい。とにかく、歩く、寝る、喰う、呼吸、生きる事に関しては、俺はプロになれる技量があると思われる。しかし漫画のプロになりたいので、これらのプロになるのも諦めなければなるまい。
正直、原付や自動車に頼り気味な今日、今更歩くプロにはなりたくない。
更に、たまに不眠症になるので寝るプロになるのも、不適合と思われる。第一漫画家になって苦労しないように、よく徹夜しようとして途中で諦めて眠る程なのだ、寝るプロはありえまい。
喰うプロというのもどうかと思う。俺は食事は量は喰うがのんびりと喰うタイプなので、時間制限のある早喰いや大喰いには向かないと思うし、俺は栄養や食事バランスには気を使っていると自負しているので、そういったプロには向いていない。証拠に、なるだけ身体が喰いたいと願っているものを喰うことにしている。身体のことは身体が一番知っているのだ。きっと。
呼吸のプロもどうかと思う。ラマーズ法を未体験だからである。
生きるプロも考えものだ。生きているのか生かされているのか、密かに死んでいるのか、本当は生まれていないのか、実は前世の記憶を辿っているだけなのか、俺が描いた漫画の中の世界のことなのか、ザオリクなのかザオラルなのか、証拠がないのだ。どれのプロなのか分からぬうちは、プロにはなれまいて。夢オチという手もある。
やはり俺は漫画家になるしかないようだ。道が一本しかないのは、喜ぶべきことなのか、悔やむべきなのか。そう考えたら、漫画家になる道と、喜ぶ道と悔やむ道と、計3本の道ができた。喜ぶプロになりたい。
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